OTは障害者の生活再建コーディネーター


by epaphras
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久しぶりに。

もう、何年も更新せず、今日、開いたのも、もうこのページを閉じようかと思ったため。
でも、こんなページにもアクセスしてくださる貴重な方々がいらっしゃるんだとレポートを見てちょっとびっくり。
最近は、というかここ5年くらいは、訪問看護ステーションに勤務しています。
毎日、4,5件の御宅を訪問し、在宅でのリハビリの仕事をしています。
毎日、看護婦さんと協力しながら、少しでも家での生活が支えられるようにと、非常に微力ながら、ご利用者様とかかわっています。
自分の技術と知識の乏しさにへこみながらもなんとか続けてます。

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# by epaphras | 2013-06-22 07:07 | この仕事のこと
よく作業療法士(OT)と理学療法士(PT)の違いについて、役割分担説?があります。PTは下肢でOTは上肢。もしくは、PTは機能訓練で、OTは生活応用動作。など。
でも、上肢であろうと下肢であろうと、また、機能レベルの訓練であろうと生活動作レベルの訓練であろうと、運動機能にかかわる障害であるならば、理学療法士さんの専門性のほうが秀でています。
なにも、OTがいなくても十分にPTだけでやっていけます。
上肢の巧緻性の作業もOTがしなくても、PTでも十分です。

では、作業を必要とするとはどういうことでしょうか?
例に、認知症の人がいたとします。運動機能の障害はどこにもなく、自由に寝起きができます。
この人の動作だけを見ていたらなにも問題を感じないかもしれません。
しかし、この人に買い物を頼んだり、他人とゲームを一緒にしたり、人と話たりし始めれば、
この人は認知症だということに気がつき始めます。
つまり、脳の中で起きている障害が外界に現れる場は作業場面なのです。
知的障害の人も、認知障害の人も、精神障害の人も、運動面に問題が見えなくても、
なんらかの作業(対人交流を含める)を始めれば、その障害像が見えてくるのです。
作業を通して、障害像が見えてくると同時に、
作業を通して障害に介入していくことができるのです。極端に言えば、作業を通してしか障害像に近づくことができないのです。
作業の必要性はここにあります。
脳内の障害にアプローチするには、作業が必要なのです。

それゆえ作業療法士の仕事は、様々な作業を用いて、認知症・知的障害・発達障害・高次脳機能障害・精神障害などの運動障害とはことなる障害分野のリハビリテーションを行う職種なのです。

ただ、残念なことに、作業療法の必要性の世間の理解が低いことや、身体障害系のリハビリを希望する人が多いことや、何よりも作業療法の専門性を生かせる職場が非常に少ないことが作業療法士ってなにをしているの?という疑問を抱かせてしまっているのでしょう。
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# by epaphras | 2010-09-13 09:23 | この仕事のこと

園芸療法士 収入


私は現在、精神科病院で作業療法士として働いています。
大学は農学部・農学科で、土壌肥料・園芸・作物から蔬菜、果樹まで一通り学びました。
農業は出来ませんが、農作業は今でも好きで、やっています。

作業療法士になると、老人介護保健施設や精神科病院などで作業の一つとして園芸を適用できる機会が多く有ります。
そして、園芸は利用者の身体機能回復・精神機能回復・QOLの維持・レクレーションの一環など、その応用領域は広くあります。

作業療法士の収入は現在、世間が思うほどには良くなく、
手取りで20万円から25万円が上限でしょう。
現役の作業療法士の給与とこれからなる方の給与は比較してもあまり意味ありません。
理学療法士に対して、作業療法士は知名度が低く、作業療法士が理学療法をしなくてはならない職場も多いため、給与面でも、作業療法士のほうが理学療法士より、1,2万円低く査定されているとことも出てきています。

今後、卒業生の増大も含めて、給与面では今以上に低くなる傾向にあると思われます。

しかし、園芸療法を職業として、どうしてもやりたいのなら作業療法士としての資格を取ることをお勧めします。学費は専門学校4年制で、総額500万から800万くらいかかりますが。

もう一つは、園芸を趣味とする高齢者を対象とした農園などの経営を試みるのもいいかもしれません。

もう、定年後の仕事として考えるならば、園芸店の店員、花やの店員、
ボランティアとして地域の園芸活動の振興に役立てるのがいいかと思います。地域によっては、お小遣いをもらえるところもあるようです。

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# by epaphras | 2008-12-08 21:40 | この仕事のこと
よく、聞かれる質問です。協会の定義を説明しても高校生やまったく普通の人には余計分からなくなるばかり。

それで、私はこう説明することにしてみます。

理学療法は運動のリハビリ

作業療法は脳のリハビリ

言語療法は言葉のリハビリ です!

どうですか?

簡単で分りやすいでしょう?
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# by epaphras | 2008-12-01 00:16 | この仕事のこと

作業は手足だけの動きだけではありません。
また、動くのは手足だけでもありません。

世の中には、頭を動かす作業や
心を動かす作業や
感情を動かす作業をしている人たちが大勢します。

見方を変えれば、手足が動かなくなっても、
頭(思考)や心や感情を動かすことは出来るのです。

人は、歳を加えてゆくと、
だんだん、手足は動かなくなってきます。
頭も動かなくなってきます。
心もそして感情も?

いえ、人にはもう一つ作業を続けている大切なところがあります。
それは、心の奥にある魂です。

それは、人の霊です。人は生きている間、人の霊は人の中に宿ります。
人が死ぬと人の霊は神のもとに帰ります。

人が生きている間にいだく根本的な問いかけは
私はどこから来てどこへ行くのかという自己の本源を求める問いです。

人の霊は神から生まれ、神のもとへ帰ります。
しかし、多くの人はこの事実を知らずにいます。

それは、生きることへの不安と死ぬことへの恐れを起します。

人は死ぬ前でに、自己の本源を知るための作業を必要としているのです。

この魂のよりどころを探る手助けをしてゆくことが、魂の作業療法、スピリチュアルケアです。

『あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい』ヨハネ14:1

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# by epaphras | 2008-11-30 09:20 | 私想
体が緊張し、呼びかけにもあまり反応せず、
首も曲がらず、ほとんど寝たきりの状態のようになる高齢者の方をみるとき、
このまま廃用で、回復はしないのではないかとうつ症状にこちらが、
圧倒されてしまうときがあります。

急に重症になることもあり、今まで歩けていたのに、どうしたのか?とご家族も不安に駆られることもあるかと思います。

このような方のリハビリ依頼が来て、面接に行き、上記のような状態だと分ったときは、
まず、じっくりと待ちつつ取り組んでゆくという態度の自分の中で確認します。
ほんとうにじっくりと待つということが大切なような気がしています。

もちろん、ただ待っているのではなく、その間適切な薬物療法が医師によってなされているわけですが、作業療法士は、相手が全く動かない状態では待つほかありません。

けれど、今も待ち続けた結果、ゆっくりとうつから回復に向かい、一緒に軽作業や軽体操に参加できるようになっている患者さんたちを見ることができるようになりました。

寝たきりになっていた期間、弱ってしまった足腰の筋力を回復させてゆくにも、
またじっくり待ちながら取り組む必要がありますが、
これからはリハビリ職の本領を発揮する場です。

あせらず、希望を捨てず、ゆっくりと回復を目指してゆきます。

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# by epaphras | 2008-10-12 19:02 | 病棟日記

私は現在、精神科病院で作業療法士として働いています。
大学は農学部・農学科で、土壌肥料・園芸・作物から蔬菜、果樹まで一通り学びました。
農業は出来ませんが、農作業は今でも好きで、やっています。

作業療法士になると、老人介護保健施設や精神科病院などで作業の一つとして園芸を適用できる機会が多く有ります。
そして、園芸は利用者の身体機能回復・精神機能回復・QOLの維持・レクレーションの一環など、その応用領域は広くあります。

作業療法士の収入は現在、世間が思うほどには良くなく、
手取りで20万円から25万円が上限でしょう。
現役の作業療法士の給与とこれからなる方の給与は比較してもあまり意味ありません。
理学療法士に対して、作業療法士は知名度が低く、作業療法士が理学療法をしなくてはならない職場も多いため、給与面でも、作業療法士のほうが理学療法士より、1,2万円低く査定されているとことも出てきています。

今後、卒業生の増大も含めて、給与面では今以上に低くなる傾向にあると思われます。

しかし、園芸療法を職業として、どうしてもやりたいのなら作業療法士としての資格を取ることをお勧めします。学費は専門学校4年制で、総額500万から800万くらいかかりますが。

もう一つは、園芸を趣味とする高齢者を対象とした農園などの経営を試みるのもいいかもしれません。

もう、定年後の仕事として考えるならば、園芸店の店員、花やの店員、
ボランティアとして地域の園芸活動の振興に役立てるのがいいかと思います。地域によっては、お小遣いをもらえるところもあるようです。

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# by epaphras | 2008-10-12 18:27 | この仕事のこと
面接をしてみての印象は、
本人の自己否定感はすごく強いけど、それは認知がゆがんで、
自身の身体状況を的確に把握できていないだけで、
(そんなことを本人にも望めないし)
『肘がもう少し動けるようになりたい。とか、腰を揉んでもらえますか。』とか自分なりに良くなっていきたいという意欲もあるのだなあと感じた。

自信を失っていることは確か。
どこから、自信・尊厳を取り戻していったらいいか、本人としてはにっちもさっちも行かず、もがいていて、もうどうしようもないから、
『自分はもう何もできないんです』と言い切ることで、逆に自分の地位を保とうと健気に努力しているような感じ。

少しずつだけど、ある程度何とかなるんじゃないかって、感じました。何とかって何?

できないと言う彼の主張とできるであろう彼の部分を同時に認めながら、
そして、
身体活動を用いながら少しずつまず身体の機能を改善し、それを彼自身に提示しながら、自己認知の改善を図っていけるんじゃないかしら?なんて思いました。
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# by epaphras | 2008-07-04 21:32 | 病棟日記
病棟スタッフから、いくら促しても
自分のベッドから離れようとしないけど、どうしたらいいでしょうと相談があった。

面接に行って、話を聴くと、『自分はもう骨折しているし、足も手も動かせないから、
ベッドから出ることは出来ないんです』とまあ、彼なりの理屈をもって説明をしてくれる。
確かに今は、オムツをし、全介助で対応している。
観てみると、
背損なのだが、上・下肢不全麻痺で、それなりに動かすことはできるはず。
ただ、下肢の筋力も衰えていて、寝返りも軽介助が必要になっていた。


『寝たきりでもいいの?』とちょこっと、本人の意思を確認してみる。
『ええ、寝たきりでもオムツをヘルパーさんに介助してもらえればいいし、ベッド上でテレビも見れるしいいんです』となんとまあ、羞恥心も自尊心も投げ出してしまっているような状態。


どうしようかなあ~。これから、どんな風に関わっていこう?
それより、私を受け入れてというか、最低限、会いにいくことをこれからも了解してくれるかしら?
なんて、考えながら、その日はベッドを後にしたような記憶がある。

この患者さんは、すでに他のOTRとうまくいかず、病棟スタッフの言うことも聴かず、半分諦められているような節があるし。

でも、そんな患者さんがよく回って来るんだよなあ。

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# by epaphras | 2008-07-04 17:50 | 病棟日記
左の上腕骨の骨折のリハのために病室へ行った頃のことを覚えてますよ。

もう、認知症でこちらのことは何も理解されていないとスタッフに思われていたし、
むにゃむにゃと話される言葉も意味不明できっと話している本人も分らないのだろうと思われていたKさん。

少しずつですが、浮腫改善と拘縮予防にとリハビリを始めましたが、
kさんは、終わると小声でありがとうございますと言ってくれてたよね。
分っていらっしゃるんだという発見と驚きもあり、嬉しかったですよ。

その後、リハ室で一緒に体操もしたよね。
こちらの運動とkさんの動きは全然マッチしていなかったけれど、
でも、けっこう笑えて!楽しかったですよ。
kさんなりの理解の範囲で一生懸命体操してくれていたことは伝わってました。

いつも体操に参加されていたのに、少し調子が悪いと看護師さんから聞きました。
でも、それから、1週間くらいして今晩が山かもしれないと聞き、びっくり。

でも、長生きしたよね。最後まで、つぶらな瞳でうなずいてくれていたkさん、
安心してゆっくりと休んでください。

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# by epaphras | 2008-06-14 23:49 | 病棟日記
夕方、今日最後の担当の患者さんの
ベッドサイドへ、リハビリに伺うと、
ベッドを仕切るピンクのカーテンの向こうから、

『きょーも、一日、ありがと。ありがと。ありがと。きょーも、一日、ありがと。ありがと。ありがと。
きょーも、一日、ありがと。ありがと。ありがと。きょーも、一日、ありがと。ありがと。ありがと。』とというお年寄りの声が聞こえてきた。まるで、念仏のように。オウムが教えられた言葉を繰り返しているかのような響きがあった。

その声は時折、
『きょーも、一日、ありがとさん。きょーも一日、ありがとさん。』
『きょーも、一日、ありがとね。きょーも、一日、ありがとね。』と語尾が微妙に変化しながら、
6人部屋の病室全体に聞こえるように、響き渡っていた。

ここは、認知棟。認知障害のお年寄りが集まっている病棟だ。
ピンクのカーテン越しに聞こえるその声が気になって、ふと覗いてみた。
そこには、ほぼ寝たきりの女性の患者さんがいた。

さやかな感動を覚えた。
認知症で、人との会話もままならない人が、きょうの一日を感謝の言葉で締めくくろうとしている。
いや、もしかすると、自分の発している言葉の意味を十分に理解していないかもしれない。
でも、もし、そうだとしたら、余計にこの人がわずかに残る言葉として感謝の言葉を念仏のように唱えていることが嬉しく思えた。
何かの宗教だとしても、

けれど、その人の口からでる言葉が愚痴や批判ではなく、
今日も一日ありがとうで締めくくられることは本人にとっても、
周囲の人にとっても、ちょっとした安らぎを与えているに違いないと思った。

確かに、その声を聴きながら、同じく寝たきりで言葉も発することのできなくなった患者さんのリハビリをしながら、心地よさを私は感じていた。

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# by epaphras | 2008-06-04 22:29 | 病棟日記
作業というのは、閉じられた空間、場、時間における活動だけをさすのではない。
園芸という活動自体も作業療法で利用される活動(作業)であるが、
園芸活動を生活時間に取り入れていること自体が作業療法の一環となる。

前の記事で、まだエネルギーが無かったとき、
一日、1,2時間の家庭菜園を行い、
それだけで、ほんとうに疲労がたまり、それが自分にとっては精一杯の生活行為だった。

それでも、少しづつ、少しづつ、活動する時間を長くしてゆくことができた。
家庭菜園という園芸作業は
私には、大げさにいうと生きる目標を失っていた者に目標を与え、明日も生きてゆこうという
生きる動機を与えてくれた大変貴重な作業であった。

植物(主に蔬菜)の世話をするということは、
私に小さな責任を与えた。
何も役に立たない者ではなく、少なくとも、小さな畑の何も目立つことのない植物たちを見守るという役割と責任は私にはちょうどいい(負担がかかり過ぎない)ワークとなった。

小さな責任は、私に主体的な意欲を引き出す原動力となっていた。

もうひとつ、
植物の成長に触れるということは、私に大変有意なエネルギーの供給となった。
植物の持つ静かなエネルギーの流れは、傷ついた心に少しずつ潤いを与えるものであった。

もう一つ、
それは、太陽の下、光を十分に浴びることができたこと。
この太陽からのエネルギーも同じく、傷ついた私の心の癒しに働いた。

もう一つ、
私はこのとき、人とまだかかわりたくなかった。
自分自身を隠しておきたかったし、
自分に起きたストレスフルな出来事を自分でも消化できず、
いったい何が起きたのかをゆっくりと時間をかけて、反芻する必要があった。

他の人に説明もしたくなかったし、辛かった。

だから、人と関わらずに、
土と植物と太陽を相手に過ごしていることが自分にはとても心地よかった。

たかが、園芸作業、園芸療法というなかれ。

日常の社会活動が可能なレベルの人にとっては、
微妙なレベルでの心の癒しに必要な園芸作業の作用を理解することは難しいかもしれない。

けど、私は、園芸作業が社会復帰の第一歩となったのだ、よ。

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# by epaphras | 2008-04-05 11:08 | 私想
私にとって、作業療法士になるまでに経験した作業活動はまさに自分自身の心と体のリハビリのために備えられたものだった。

うつで苦しみ、まだ社会復帰し、激しい競争のある仕事につけない時期、
私は実家のそばで始めた小さな畑は自分にとっての心のリハビリに備えられたとしかいいようもないほど、ぴったりの園芸療法の始まりだった。

多くの喪失体験が重なった。
家庭内の過度の言い争い、
不安定な収入、
不安定な労働、
評価されない仕事、
毎日のように蔑視にさらされる日々、
DV,
別居、
離婚、
失業、
財産の放棄、
愛するものとの強制的な別離、
・・・・
これだけのストレスが4,5年の間続き、心のエネルギーは失われ、果ててしまっていた。

とりあえず、実家に逃れ、
1ヶ月くらい自分の部屋で寝ながらすごしていた。
親はもうそろそろ働けというが、
一体、自分はこれからどうすればいいのか自分でも分らなかった。

そんな中で始めたのが、久しぶりに始めた家庭菜園作りだった。
大学生の頃、親しんでいた土の世界に15年ぶりくらいに戻ってきた。
土が好きで、毎日が楽しかった農場での実習の感覚が少しずつよみがえってきた。

それは、自分の体の感覚を取り戻すための貴重な作業であった。
春になり、種から芽生え始めた小さな芽の中に感じられる成長のエネルギーが自分を力つけた。

その頃の自分には、あまりに身体エネルギーが弱まっていたので、
人の持つ自己主張の強い害を含むエネルギーや動物たちの動き回るエネルギーを受けるだけでも強すぎて受け付けることが出来なかった。

自分には、植物たちの受動的で静的なそして静かに成長してゆくほどの生体エネルギーを受けることでちょうど良かった。

元気な人にとって、園芸療法というと園芸を楽しむ効果くらいにしかとらえていないかもしれない。園芸療法士でも
作業療法士でも、
その園芸療法における個々の植物のもつ生体エネルギーがどれだけうつの人に影響を与えるものなのか知っている人は少ないと思う。

私は、家庭菜園で、自身の消耗した生体エネルギーを、まず、土より、そして植物たちの若芽より受けることによって、少しずつうつから快方に向かえるようになった。

この頃は自分が作業療法士になるなど想像もつかなかった。

一日のうち少しの時間を畑作業に費やし、
疲れるので、家に帰っては体を休めてその日を終えることでやっとであった。



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# by epaphras | 2008-04-04 20:56 | 私想
今まで、リハビリというと、脳梗塞・廃用性による歩行困難などのフォローとしての身体的なリハビリをイメージすることが一般の人には多かった。

近年になり、認知症の介護の大変さがクローズアップされ、認知症予防にと各種頭の体操?が
盛んにもなってきた。

認知症は社会的にも大きな課題であることを社会も認めているが、これといった処方箋・予防法が確立されていないことに、なかなか認知症のリハビリはこれですよ!とお勧めできないことに私たち作業療法士も苦労している。
薬物療法の効果は検証しやすいが、作業療法の効果は検証しにくいといった面もあるだろう。
きっと作業活動をすれば、損にはなっていないはず。ぐらいの信用度なのかもしれない。

でも、作業療法士たちは、人が生活をしてゆくということは、多くの作業活動によって織りなされていることを知っている。(作業活動とは人間同士の交流などのスキルも含まれている。)
だから、認知障害・精神障害・発達障害・学習障害などの中枢系に関わる障害では、その表現形・出力・表現形態として作業活動の障害として現れることを知っているのだ。

アクティビティケアが最近話題にされ、高齢者の生活の質の維持に不可欠な要素と認知されるようになったことは嬉しいことだ。
アクティビティの持つ様々な要素・また精神・認知に及ぼす効能についてもっと知見が積まれることが望ましい。

そして、もう一つアクティビティケアに関心を持つ施設の人々などに知っていてもらいたいことは、作業療法士はアクティビティに関して、作業活動の一環として多くの専門的知識を持っている職種であるということだ。

様々な、アクティビティを用意するだけでは、高齢者のカルチャーセンターとなるかもしれない。
しかし、老健・特養などにいる高齢者の方々は、なんらかの障害を抱え、健常者と同じようにはアクティビティを行うことができない状態にあることが多い。
そのような中で、作業療法士は
・その人の障害レベルに合わせたアクティビティ
・障害を回復に向かわせるアクティビティ
・障害があってもなお可能となるアクティビティは何かなどを評価できる訓練を受けている。
ぜひ、身近にいる作業療法士を活用してほしい。

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# by epaphras | 2008-01-03 12:46 | 老健日記
精神科内のリハビリテーション部門に配属されて丸一年が過ぎました。
はじめは、精神科なのに身障のリハビリかあと思い、精神科作業療法士として頭の中をどう整理してゆくか戸惑いもありましたが、
一年たってみれば、
精神科の患者さんを見ていることには変わらないし、精神疾患があると普通の病院で務めているPTさんにはどう対応してよいか分らない微妙な関わり方があるので、
作業療法士ならではの精神疾患の患者さんとの関わりのノウハウが非常に生かすことのできる職場だと気がつきました。

作業療法士としての身障領域のスキルと精神科領域のスキルを同時に活かせる面白い領域でした。

精神科作業療法も、対人関係スキルや作業活動など退院への支援などを中心に議論が進んでいると思います。確かに、急性期の薬物治療も発達し、また、比較的青年期に発症しやすい疾患なので、メインは上に描いたことへの対応を作業療法としても進めてゆけばいいと思います。

けれど、忘れてならないのは、すでに老年期に入り長期入院し、身体の衰えを覚えている患者さんたちも大勢いることです。

これらの人たちでまだ歩ける人たちはいいですが、
廃用性の筋力低下でリハビリをしなければ即寝たきりとなる方々が大勢いるのです。

一般の人々に対しては最後まで健康を維持してゆくことの大切さとリハビリの必要性が認知されてきているので、介護保険部門はにぎやかになりました。

けれど、高齢の精神障害のかたがたは自己主張もあまりできず、そのため、精神科単科の病院内では、リハビリを受ける機会もなく、
寝たきりになってしまう状態がそのまま見過ごされているのが大方の現状ではないでしょうか。

こんなところにもまだ、精神障害者への偏見があるきがします。
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# by epaphras | 2007-12-24 11:39 | 病棟日記