人気ブログランキング | 話題のタグを見る

OTは障害者の生活再建コーディネーター


by epaphras
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

迷っている新人さんへ

たしかにこの病院の作業療法にもいいところはたくさんあります。
ユニークな取り組みもたくさんしています。

だからこそ、迷うのだと思います。

でも、やっぱり一度出てみることをお勧めします。
それも、自分のOTとしての考え方がここに染まってしまう前に。

だって、ここの病院の係長から聞く言葉はコストばかりでしょう?
患者さんはお金の単位数としか聞こえません。
係長から何か精神性について得るものはありましたか?

どこの病院も完璧はないし、お互いに欠点はありますが、
少なくとも、自分の考え方が固まる前に、
精神科作業療法の大切さについてもう一度
まっさらになって考えるチャンスをもっていいと思います。

なぜ、身障系ではなく、精神系のリハビリスタッフになりたいと考えたのか。
精神ということばになぜ惹かれたのか。
人の持つ精神性の広さ・深さ・大きさ・
今、どのように感じていますか?

まだ、若いのだから未知の世界に挑戦してみてください。

それでもなおこの病院がよければ
いつでも戻って来てください。
# by epaphras | 2007-09-18 22:03 | 私想
最初に働いた老健では病院育ちの若いPTさんが主任だった。
PTとして技術も意欲もあり、評価も正確であったと思う。

ただ、入所している利用者さんらの表情は暗かった。
何か、希望を失っているような、また、PTの顔色を伺っているような不安が漂っていた。

そこでは、その主任のPTがはじめに評価して、
その利用者さんの実用性を判断してゆく。(PTの世界では当たり前なのかもしれないが)
そのPTさんもしくは、リハビリスタッフにあなたは歩行はもう必要ないと判断されれば、
歩行訓練は当然ない。

また、当初はすべての利用者さんが個別対応ではなかったために、
だれを個別で見るかもすべてリハスタッフが決めていた。

利用者さんは自分は個別に選ばれるのかが関心の的であった。
そして、個別に対応が許された者?と集団でしか対応が許されなかった?者との間に
希望組みと失望組み、もしくは勝ち組と負け組みの境界が生じていたのだった。

こんなことは当たり前ではないか。実用性を評価しているのだからと疑問に思わない方がいれば、私のこの文章はこれ以上読んでもなんの意味も見出さないと思う。

わたしはもともと評価という言葉が好きではない。
自分が学生の頃、テストの点数や身体能力で成績の評価をされることは嫌であったし、

以前、高校の教師をしていた頃も、自分がテストの点数で生徒を評価し、
通知表をつけることもまた嫌であった。

評価する者と評価される者、評価される側の気持ち、立場というものを評価者は理解しようとしているのか。

たかが、大学を出て病院で4,5年働いても20代後半から30代前半の若者に、
人生60,70年と苦労を経ながら生き抜いてきた利用者の方々の、
これからの将来を安易に評価されてたまるものかと思う。

きょうはここまで。

# by epaphras | 2007-09-18 21:48 | 老健日記
受かりました。なんとか。
といいますか、よく受かったと我ながら驚きです。

でも、ペーパーコーディネーターのまま過ごしてしまうでしょう。
# by epaphras | 2007-08-19 09:03 | この仕事のこと
今日の朝日新聞の朝刊に、『アクティビティ・ケア』という仕事が労健などで広まりつつあり、
その職種としてAD(アクティビティ・ディレクター)という職が必要とされているとあった。

この仕事の内容はよく読めばOTが以前からその職業のもっとも柱となる治療的手段としての各種のアクティビティを用いるということで、そのアクトが認知症のお年寄り・老健でのお年寄りの表情を豊かにしているということだ。

なんだ、OTの仕事じゃないか!と思うのだが、
OTが未だに老健などで本領を発揮仕切れないでいることのもどかしさ
・悲しさを先に感じてしまった。

老健では、OTはPTの補助みたな立場でPTと同じように身体機能のリハをしているところが
多いのでは。リハのトップがPTさんだと、OTは上肢機能やADL、もしくは自助具などと身体面でのOTの役割しか思いが浮かばず、新人のOTもそんなものかと老健でのアクトの必要性を
うまく主張し、またプログラムを組んでいくことまで余裕がないのも現実かもしれない。

けれど、老健のリハビリが身体機能だけでよいのなら優秀なPTを多くそろえたほうがいい訳で、
一体、なんのためにOTが必要なのかわからなくなる。

記事にはこうありました。『高齢者施設でも、暮らしに文化を必要とする”心の栄養士”が必要だ』と。まったくおっしゃるとおりです。
OTはそのために働く国が公認している職種なのではないですか。

ただ、反省すべき点として、ADの役割は自らアクティビティを発案・提供するだけでなく、
地域の人々の指導ボランティの調整も兼ね、アクティビティの広がりを可能としているところだ。

いくら教育でいくつかのアクティビティを学んで来ているとはいえ、
個人の得て不得手もあれば、アイディア・種類に限りもあることは当然だ。
OTもここは見習って、地域を巻き込みアクティビティを大いにリハビリに活用したらどうだろう。
今から、ADを養成するよりも、日本各地の老健にはバイタリティ溢れるOTが配置されているのだから、もっとOTを活用してゆこう。

そして、人はパンのみで生きるにあらず、神の言葉によって生きるとあるように
たとえ障害があっても心の糧こそ重要であることを広く主張してゆきたいと思う。

# by epaphras | 2007-08-18 20:56 | この仕事のこと

ICFの個人因子

きょうも新しくオーダーが出たので、入院中の患者さんのベッドまで面接に行った。
いろいろ話を聞くも結局のところ、うつ症状から由来するのか意欲が乗らないということらしい。
無理してもリハにならないので、じゃあ、来週にまた様子をうかがいに来ますということで
いったん、席に戻った。

精神疾患を抱える人のリハの特徴なのだろうか。
その人がどの程度リハに適応し、回復へと向かえるかというところで
その人個人の健康状態・個人因子の影響力が大きいと思うところ。

その人全体の生きる力、総合的な寿命というかにその人の精神状態が多いに関係する。
だから精神疾患なのだと言えばその通だが。

言いたいのは、機能レベルだけみてリハビリの予後を予測しがたい要素(因子)が精神疾患を抱える人の運動器リハにはたくさんあるということ。
機能面だけを見て、この人はもっとできるはずなのにとかもっと良くなれるのにと
嘆いてみても、それは、こちらの見方が偏っているというかICIDHの見方の欠陥を補いきれていないというか。
機能面以外の制限ファクターによって、その人の総合的な生きる許容量があるということを
もっと自分が受け止めてゆくことがイライラしないでいられるコツかもしれません。

# by epaphras | 2007-08-07 17:43 | 私想